くそばばあが嬉しい

昨日 貴女と大喧嘩しました。

未来の貴女はきっと、「そんなん覚えとらんし」と笑うと思います。

 

ガミガミ怒ってるお母さんのこと、その時は嫌いって思うと言ってました。

くそばばあ!と思うって正直に言う貴女を、「この子はアホなんかなぁ?」と思ったけれど。

くそばばあって思われてること嬉しいっていったら変だって笑うかな。

 

お母さんは、おばあちゃんが怖くて仕方なかったです。

おばあちゃんは『お母さん』というロボットみたいで、仕事している背中しか記憶になくて、なにを考えているか全くわかりませんでした。

今は仲良しだから、推理小説が好きだとか、涙もろいとか、赤毛のアンが好きとか色々知っているけれど、こどもの時のお母さんは知りませんでした。

ずっと嫌われてると思ってました。嫌われてるというよりも、兄の方に夢中で私には関心がないと思ってました。

もしかしたら、貴女も同じこと感じてるかもしれない。

女同士だから、言わなくても伝わるって思うときがあります。本当は言わないとわからないのだけれど。

 

お母さんはおばあちゃんの分身。おばちゃんがなれなかった理想の女に育てられてると思ってました。

幸せになってほしいって気持ちは根底にあるのに、お母さんには届いてませんでした。

 

だってね、おばあちゃんが、感情を口にすることはなくて、口から放たれるのは『お母さんとしての言葉』

忙しいから言葉は事務的になり、その結果、それは命令的な圧力になる。

理想の娘像を押し付けられてるみたいで、それを外れると嫌われそうで、本当に怖かった。

いいこでなければ嫌われると思ってました。

本当はそんなことないのにね。

 

大人になっておばあちゃんに聞いたら、生活厳しくて、そんな余裕がなかったって言ってました。

こどもと遊んだりする時間も、自分の時間もなく、ただ淡々と作業として家事をこなし、ロボットのように規則正しく働く。

そうしないと生活が回らなかったと。

おばちゃんは、お母さんに全幅の信頼を寄せてくれて、頼りにしてくれてたけれど、幼いお母さんは気づけなかった。

手を抜くということができない不器用な母に対して、怖いという感情を持ってしまってたことを申し訳なく思います。

 

私が「お母さん」になったとき、私のイメージする『お母さん』はおばあちゃんでした。

私も完璧な母親をこどもの前では演じようと思ってました。

でもね、「お母さんだって人間。弱いところ見せていい」って言葉に出会ったの。

完璧な母親を演じた時、一回の弱さにこどもは「そんなのお母さんじゃない」と思うって。裏切られたって思うって。

ダメなお母さんだっていい。全部こどもに見せて、等身大で子育てしようとその時決めました。

 

だから、貴女が私を「(怒られてるときは心の中で)くそばばあって思う」って言ったとき嬉しかったです。

友達親子だっておばあちゃんからは注意されたけれど、お母さんは、貴女にとって最初から『お母さん』です。

貴女が私を思い出すとき、ロボットではなく、生身のお母さんでありたいと思います。