8月。流れ。
何かをはじめる時、世界が応援してるような気がするときがあります。
8月上旬。
お母さんはまさにそんな感じでした。
仕事を理由に、病院を先のばしにしてた頃。
信子さんの「病院へ行け」という圧力がすごくて、そろそろいかないとなぁと思い始めてました。
痛みに馴れるというか。
毎日痛いわけではなくて、生理前から生理が終わる10日間ほどの痛み。
それも痛い月もあればそんなに痛くない月もありました。
病院にいってから分かることだけれど、お母さんの右の卵巣は腫れ上がった子宮に癒着していたの。
だから右の卵巣が痛んでいたんだと今はわかります。
痛くない時は、「夢だったんじゃないかな?」「更年期じゃないかなぁ?」って楽観的に考えてしまって、こんなに調子いいなら病院いかなくていいのでは?と思う日もありました。
そんなに時に運命のサインが重なりました。
まず1つ目!
近所に婦人科ができました。
女医さんの婦人科医院です。
男子禁制、そして予約制。
ホームページみたらLINEで問い合わせができるとのこと。
もう行くならここしかない!と思いました。
そして2つ目!
ドラッグストアの店員さんが背中を押してくれました。
ドラマみたいな話は、ほんとうにあるんだと思いました。
いつも行くドラッグストア。
一度も声かけられたことなかったのにその日はじめて声をかけられました。
そんなに悲壮感でてたのかな?
もしかしたらすごく真剣に効能を読んでたからかもしれません。
更年期に効くからと『命の母』を購入しようとしてた時、店員さんが購入を止めてくれたの。
「それは買わなくていいから、まず病院にいって欲しい」
それから深く頭を下げられて「お願いだから病院にいってください」って言われたの。
呆気に取られてしまって、ポカンと顔を見てたんだろうね。
はにかんだ笑顔で「いって何もなかったら、安心して好きなサプリメント、好きなだけ買ってください」って。
同じ年齢くらいの目尻に皺のある店員さんで、目がね、ほんとうに心配してたの。
素直にしたがってしまう思いのつよさ。
きっとね、家に帰ったらあの女性にも家族がいて、こどもたちに「今日、お母さん余計なことしちゃった」って話したかもしれない。
普段は言わないのにね、って笑ったかもしれない。
私の運命に言わされたのかもしれない(笑)
貴女に私も笑って話したよね、この日のこと。
「売上より、優先されるほどやばいみたいよ」って。
覚悟が決まった瞬間でした。
近くに病院できて。
女医さんで。
ドラマみたいな展開あって。
まるで私はヒロインみたいで。
不安な気持ちが、希望へチェンジしたような感覚。
世界がね、病院に行けって言ってると思ったの。
タイミングは大事。
そのタイミングを逃してはいけないときがある。
大げさだけど、運命を決める瞬間はある。
ベクトルがすべて同じ方向を見てるとき。
それは行動するとき。
4ヶ月無駄に悩んだ日々が終わる日でした。
7月。
命の期限はどれぐらいなんだろう。
痛みに堪える度に、あの頃は怖い想像ばかり浮かんできました。
お母さんの部屋は西側だから窓からは西の空が見えるの。
貴女の部屋は東の空が見える。
朝の光が一番に差し込んで貴女を照らして欲しいから貴女の部屋は東側にしたのです。
貴女は寝起きが悪いから、朝日を楽しむ余裕はないみたいです。少し残念。
お母さんの部屋は、ベッドに寝転んで見上げると、窓から空が見えるの。
夜 見上げる月があまりに綺麗で。
1度だけ泣いたことがあります。
あと何年生きられるんだろうと、そう思ったら鼻の奥がつんとして。
込み上げる不安が涙と一緒に溢れてきたことがあります。
なぜ90歳まで元気に生きられるって信じてたんだろう。
好きなこと、やりたいこと、子育て終わったらいくらでもやれると思ってた。
無限に時間は続くって、なぜ信じていられたんだろう。
いまから考えると、そんなに追い込まれる前に病院に行けば良かったと思います。
痛みに耐えた時間のなかで、やりたかったことを数えて。できなかったことを数えて。
笑える話だけど、大したこと思い付かなかったの。
ただ、貴女とお兄ちゃんの幸せを思い浮かべて。
お母さんの世界は貴女たちでいっぱいだったから、やり残したことは『孫を抱きたい』ってことくらいでした。
貴女とお兄ちゃんは、私がいない世界でもしっかり生きていける。それが確信できることを幸せだと思いました。
センチメンタルな涙だったのに、やりたいこと思い浮かばない自分がおかしくて、「たいがい好きなことやってるもんなぁ」って満足した気分になりました。
あんなにいっぱいあった「やりたいこと」
いつの間にかほとんど叶えられてました。
愛し愛されて、こども授かって、子育ても楽しんで、貴女たちに満たされて。
めちゃめちゃ幸せやん。て。
そう言える日々が愛おしい
くそばばあが嬉しい
昨日 貴女と大喧嘩しました。
未来の貴女はきっと、「そんなん覚えとらんし」と笑うと思います。
ガミガミ怒ってるお母さんのこと、その時は嫌いって思うと言ってました。
くそばばあ!と思うって正直に言う貴女を、「この子はアホなんかなぁ?」と思ったけれど。
くそばばあって思われてること嬉しいっていったら変だって笑うかな。
お母さんは、おばあちゃんが怖くて仕方なかったです。
おばあちゃんは『お母さん』というロボットみたいで、仕事している背中しか記憶になくて、なにを考えているか全くわかりませんでした。
今は仲良しだから、推理小説が好きだとか、涙もろいとか、赤毛のアンが好きとか色々知っているけれど、こどもの時のお母さんは知りませんでした。
ずっと嫌われてると思ってました。嫌われてるというよりも、兄の方に夢中で私には関心がないと思ってました。
もしかしたら、貴女も同じこと感じてるかもしれない。
女同士だから、言わなくても伝わるって思うときがあります。本当は言わないとわからないのだけれど。
お母さんはおばあちゃんの分身。おばちゃんがなれなかった理想の女に育てられてると思ってました。
幸せになってほしいって気持ちは根底にあるのに、お母さんには届いてませんでした。
だってね、おばあちゃんが、感情を口にすることはなくて、口から放たれるのは『お母さんとしての言葉』
忙しいから言葉は事務的になり、その結果、それは命令的な圧力になる。
理想の娘像を押し付けられてるみたいで、それを外れると嫌われそうで、本当に怖かった。
いいこでなければ嫌われると思ってました。
本当はそんなことないのにね。
大人になっておばあちゃんに聞いたら、生活厳しくて、そんな余裕がなかったって言ってました。
こどもと遊んだりする時間も、自分の時間もなく、ただ淡々と作業として家事をこなし、ロボットのように規則正しく働く。
そうしないと生活が回らなかったと。
おばちゃんは、お母さんに全幅の信頼を寄せてくれて、頼りにしてくれてたけれど、幼いお母さんは気づけなかった。
手を抜くということができない不器用な母に対して、怖いという感情を持ってしまってたことを申し訳なく思います。
私が「お母さん」になったとき、私のイメージする『お母さん』はおばあちゃんでした。
私も完璧な母親をこどもの前では演じようと思ってました。
でもね、「お母さんだって人間。弱いところ見せていい」って言葉に出会ったの。
完璧な母親を演じた時、一回の弱さにこどもは「そんなのお母さんじゃない」と思うって。裏切られたって思うって。
ダメなお母さんだっていい。全部こどもに見せて、等身大で子育てしようとその時決めました。
だから、貴女が私を「(怒られてるときは心の中で)くそばばあって思う」って言ったとき嬉しかったです。
友達親子だっておばあちゃんからは注意されたけれど、お母さんは、貴女にとって最初から『お母さん』です。
貴女が私を思い出すとき、ロボットではなく、生身のお母さんでありたいと思います。
6月。
それから二回程生理がきて。
季節も夏に移り変わる頃。
嬉しいことがありました。
それまでの人生、転勤族で移動が多かったことや、お母さんが家族にべったりだったから、お母さんには友人と呼べる人はあまりいませんでした。
貴女が知っているように、お母さんは常に家にいて、仕事が大好きで。
私の世界を構成するものは、両手で数えられるくらいの人たち。
ある時に、Twitterで「生理前に痛みがひどくてしんどい」と呟いたとき、病院へいってほしいって、気持ちがこもったリプを頂きました。
顔も見えない私にたいして、心配してくれる人がいる。
これを言うと「変なの」って笑うかもしれないけれど、お母さんには気持ちがこもった言葉は色がついて見えるの。目の中に飛び込んでくる感じ。
その言葉はまっすぐにお母さんの心に刺さりました。
もしかしたら背中を押して貰いたかっただけかもしれない。臆病な私の手をひいてもらいたかったのかもしれない。
家族には弱いところ見せれないと思ってた私。
真っ暗な海に放り投げた小さな言葉をみつけてくれた人がいることがとても嬉しかったの。
その人と「病院に必ずいく」と約束できたことが嬉しかったです。
怖いけれど、約束は守らないといけないから、私は病院にいかなければならない。
お母さんが病院に行こうと思うようになった最初のきっかけでした。
嫌なことから逃げないためには、口に出して誰かと約束をすることはとても効果的だと、お母さんは思ってます。
でも、まだまだ行くとは決めたけど、いく勇気はなかった6月でした(笑)
時々痛みで仕事に集中できないことが増えてきて、迷惑をかけることが嫌だから、会社の仲良しにも報告しました。貴女がよく知っている信子さんです。
どうして弱みって家族に伝えるの後回しになるのかな。
心配させたくないって気持ちはもちろんだけれど、本当は格好いいお母さんでいたいって思ってるのかもしれません。
貴女が家族をもったら最初に家族に相談してくださいね。できれば、一番はじめに相談を受けるのは私でありたいです。
会社の人に話すとき、「これは病気でやめないといけなくなったときの下準備になったら嫌だなぁ」と思ってました。
上司も、信子さんも、「仕事より先に病院にいきなさい」って叱ってくれました。
叱られることが嬉しくて、私は大事にされてるんだなぁと泣きそうになりました。
私には友人はいないって思ってたけれど、もっと深い人はいたんだなぁって。
信子さんが聞いたら怒られそうですが、毎日家族より長い時間一緒にいるから家族より家族。
貴女もお嫁にいくと、いままでの環境から離れることになったり、家族優先で友人との時間とれなくなって、友達いなくなったって思うときが来るかもしれません。
でも一人でも深く関わってくれる人がいたら幸せなんだよって伝えたいです。
ピンチの時にその人の人間性がでるように、こんなきっかけがなかったら、こんなに思われてること気づけなかったかもしれません。
感謝するのは変な話ですが、ぼんやりしているお母さんを笑ってくださいね。
5月。鈍痛
GW明けのあの日。
痛みの種類は変わってきて、さすがのお母さんも「これはPMSではないのではないか??」と思いはじめました。
本当に痛かった。
お腹の中にまるい痛みの球があるようで。その球から痛みが波状にそとにひろがっていく感じ。脂汗と目蓋にギュッと力を打入れないとやり過ごせない痛み。
背骨がいたくて、下腹全体がジクジク痛む。
この痛みは陣痛に似ていたので、もしかしたら妊娠していて切迫早産かもしれないと一瞬考えました。
しかし生理後20日くらいなのでまず妊娠はありえないと、痛みに堪えながら思ってました。
痛むときは頭の中で水面に広がる水面派をイメージ。内側から外へ痛みを逃すように、ぼんやり数字を数えたりして。
鎮痛剤を飲んで30分ほどで痛みはやわらぎ、動けるようになったときはホッとしました。
「鎮痛剤は効く」
この事実は希望でしたが、ただ鎮痛剤も飲みすぎると効かなくなるといわれてたので、あまり飲めないなあとぼんやり思ってました。
これから先まだ生理は続きます。
こんな痛みが毎日ではないかもしれないけれど、続くことは明確なので、うんざりしました。
おばあちゃんの家に行ったときに。
「お母さん もうすぐ死ぬかもしれない」
と冗談で言ったことがあるの。
その時おばあちゃんは「あんたが死んだら子供たちはひきとるから安心しなさい」と言ってくれて。
お兄ちゃんは「生命保険の受取人 僕に変えてね」と笑いながら言ってました。
泣きそうなほど安心したの。
私の症状、まだ冗談で聞き流されるくらいなんだって。
おばあちゃんと二人台所で洗い物をしていたら「あんた それ更年期やないとね」と言われたから、「ああ、私もそんな年齢なのか…」って思いました。
帰りの車の中で、貴女は寝てしまっていたけど、お兄ちゃんが「症状はどんな感じなん?ひどいようなら病院いきいね」って言ってくれて、今の状況を話したことを思い出します。
不安なら病院行けばいい。
それはわかるのです。ただ行くことで、「もしガンだったら?」「卵巣系だったら?」「子宮になにかあったら?」それを知ることが怖かった。
たった一回、ひどく傷んだだけ。
もう二度とないかもしれない。
これは更年期だと自分に思い込ませたら、痛みはひくんじゃないかと、祈りに似た感じで繰り返し思い込ませてました
PMSと婦人科医院
41歳過ぎたくらいからでしょうか。
それまで生理痛というものを経験したことがなかったのですが、生理前に右わき腹が痛むようになりました。
一度吐くほどの痛みがあり、内科を受診しましたが「軽い胃腸炎でしょう」「盲腸ではないです」と診断されました。
「婦人科系の病気の可能性もあるので、同じような症状が出た場合は『婦人科』を受診してください」と言われたのですが、そのあと同じ症状もなくてすっかり忘れていました。
生理前の下腹部の痛みは生活に支障をきたすようなものではなく、時々痛むなあというときは鎮痛剤を飲めば収まるようなもの。
「生理前」「下腹部」「痛み」と検索するとPMS(月経前症候群)の記事が出てきます。
PMS(月経前症候群)というのは、生理のある女性の約80%が感じている不快な症状のことを言います。
お腹が痛い…とか、頭が痛い…とか。
お母さんもいつもイライラしていましたが、そういった精神的なもの。
症状やその強さは人それぞれだけど、ほとんどの女性が感じているといわれると、お母さんの症状もその一つなのかな?と思ってしまいました。
もうこの時から症状は進んでいたのかな。
この時に婦人科に通っていたら早めにわかったのかもしれない。
もしかしたらまだはっきりとエコーに映らず、PMSと診断されたかもしれない。
でも昔は『産婦人科』ばかりで、妊娠したり中絶のために行くものというイメージがお母さんの中にあって、『婦人科』に行くことに抵抗があったの。
今は美容相談や、旅行前に生理の相談など気軽に行けるものになったけれど、やっぱり少し恥ずかしくて。
貴女には苦手意識を持って欲しくないので、気軽に行けるように、いつかお母さんの通院している婦人科に連れて行こうと思います。
愛する娘へ
これは私の物語です。
貴女の物語でもあります。
この日記は、いつか大人になったときに貴女に読んでもらいたい。
いまの苦しさや、喜び、楽しさは
貴女がお母さんと同じ年齢になったときに
多分薄れていてしっかりと伝えることができないと思うから。
「いま」をしっかり残したいから書きます。
発症したことを家族に報告した時
義理母さんから「なんでなったの?」と聞かれました。
理由は私が一番知りたいです。
ふせげる手段があったのなら私はそれをしました。
病気になるとわかっていたら。
義理母さんは貴女のことが心配だったみたいです。
遺伝的なものだったら。
貴女も発症する可能性があるのか、とても心配だったみたいです。
病気がわかったとき、私のショックも大きくて、義理母さんの言葉の真意がわかりませんでした。
とても傷ついて、責められている気がして。
これから続く治療の日々の長さに打ちのめされて。
私が発症してしまったことは仕方ないです。
もし遺伝的なものだったらと思うと怖くてたまりません。
せめてあなたが同じ病気になったときに、同じ患者として力になりたい。
そういう気持ちでこのブログを書きます。
読む機会が無いことを祈ります。